http://okmusic.jp/#!/works/4634?n=%E3%81%82%E3%81%9D%E3%81%B6
さてさて、最近いろいろといわゆる”ヒラメキ”について考えています。
ウソです。
実は、今考え始めました。
作品が”降ってきた”ということについて書いたら、いくつかコメントをいただきました。
私自身は”降ってくる”というのは、自分の中にその作品があるということに”気が付く”もしくは”思い出す”という感じが近い気がします。
”降ってきた”経験をお持ちの方は意外に多いようで、これはまあ、一つのこころの状態のことなのかもネ、などとも思っています。ベタですかそうですか。
話はそれますが、例えば、ギターのアドリブなんていうのは、これは通常、言葉通りその場での即興になるわけです。そのときそのときの思いつきで演奏を進めていくのですが、どう展開していくかは考えてコントロールするのはなかなか難しいわけです。
私がギターソロを弾く場合だと、たとえば指使いのクセでフレーズが繋がることもありますが、これも通常は意識的なものではありません。
ところで私は、音楽作品を作るとき、作品のどこかに必ずアドリブの部分をいれます。
これはギターソロに限らずなんですが、そうすることで私自身もその作品を長く楽しめるからです。
”たとえば”即興演奏というのは、自分自身でも進行を予想することはできないので、リスナーとしての新鮮さを長く保つことができる気がします。
おや、ヒラメキのはなしをしようとしてたんではなかったでしたっけ?
冒頭の「あそぶ」は、気楽につくられた不思議な作品です。
作品のどこにも不思議な要素はありませんが、私の作品のなかでは小さなヒラメキがそのまま作品になったような作品で、私としては不思議です。
たとえば「サバナサバナ」「風が吹いていた・・ハハ」などと同系列の作品です
「サバナサバナ」
http://okmusic.jp/#!/works/4780?n=%E3%82%B5%E3%83%90%E3%83%8A%E3%80%80%E3%82%B5%E3%83%90%E3%83%8A
全く関係ありませんが、雨の日にコンビニのビニール袋を頭にかぶって、横断歩道を歩いている人を見たことがあります。車に乗っていてデジカメを持っていたんですが、撮影しようと慌て過ぎてデジカメを”お手玉”しているうちに、その人は歩いていってしまいました。
東京はオモシロイところです。
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