2013年05月19日

「ドンクラ※」

「ドンクラ※」
http://okmusic.jp/#!/works/29227?n=%E3%83%89%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%83%A9%E2%80%BB

”いい音”の定義には、様々な議論があるかと思いますが、この作品はおそらく一般的には”あまりよくない音”の部類に入るであろうと思います。

実は、この作品はすでに発表済みの作品の別MIXであるともいえます。

この「ドンクラ※」のほうは私のごく初期の作品集にそのまま収録されました。

「※」のほうは、音も中央に集められ、限りなくモノラルに近いMIXになっています。

このことで、収録された個々の音は、聴こえづらくなっていますね。

ノイズは増長され、少しコモッた感じは、なんとも私が望んだ雰囲気といえました。

これはいわば”いい音”に対する私なりの最初のアンチではありましたが、もちろん私は必ずしも”いい音”を否定しているわけではありません。

おや、これ随分前にも似たようなことを書いたことがありますね。

通常、これは”悪い音”に対していわれる親愛の情のおはなしのように書かれがちでしたが、今これが”いい音”に対して向けられているところが、なんとも今風です。

もちろん”いい音”の信者は今でも多く、主流とはいえるでしょうね。

ただ、最近では「音だけがよくてもしょうがない」と気付いている人も増えているような感じがします。
というのも、そもそも・・・(後略)

パワーのある音というのは、それだけで人の心、もしくは感覚を震わせる力があるようです。
その感動はあくまで音に対するもので、私もこれはもちろん否定もしません。

さて、私が言おうとしているのは、作品が表現しようとしている感動のおはなしです。
実は、これを伝えるのに必ずしも”いい音”は必要ない、というのがこのテーマであります。

いってしまえば、ときに”いい音”が邪魔にさえなってしまうことがあるのではということです。

音楽の感動は、そもそも音から得られるのではないのか、といえばそれはそうです。その通りです。

まあ、たとえば、古いノイズだらけの音の悪い音源にも素晴らしい感動があることを知っている私としては、同じような感動を試してみたい、という気持ちが大きかったわけです。

一応、誤解のないようにいっておくと、私はもちろんノイズ信者ではありませんし、どちらかというと”いい音”に惹かれる傾向もあります。

しかし、発表当時のそういう衝動は、これまた私にとっては魅力的であったりするわけです。

さて、当OKMにおいての最初の「ドンクラ」は、オリジナルMIXでありました。
コレ、このヴァージョンですでに、私が心配するほど”いい音”ではないことに私自身が気が付いたということで、これなんですが、今回「ドンクラ※」で、もう少し試してみようというわけです。

それほど反応がなくても、好きな作品であることに変わりはありません。

ちなみにオリジナルはコチラ↓

「ドンクラ」
http://okmusic.jp/#!/works/4737?n=%E3%83%89%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%83%A9






posted by 砂久ヤタロウ at 21:41| Comment(0) | かく語りき | 更新情報をチェックする

2013年05月01日

ヘヴィユザカクカタリキ その2

「ヘヴィユザカクカタリキ」
http://okmusic.jp/#!/works/28432

さて、ギターソロというのは、バッキング(もしあるなら)のリズムの上のどこかに乗っている”方がいい”というのは、私も思うところであります。

その意味でいえば、私はほとんどのソロでリズムに乗れていないようです。

しかし、どういうわけか、曲とのシンクロということでいえば、これは必ずしもそのような必要もないのかな、とも思うわけです。

私は、演奏中の夢中な状態では、リズムに乗るということよりシンクロさせるということに意識がいってしまうので、極端にバッキングとズレてしまっていても、私なりにシンクロできていれば”いい感じ”だと思ってしまうのです。

で、録音がおわり、編集の段階でこの大きなズレを意識するわけですが、このときは、なぜこの演奏でいいと思ったのかがわからないこともあります。

ここで、どうしても気にいらない場合は、しばらく放っておいてまた別テイク、ということになるんですが、例えば「ヘヴィユザ」の場合は、どういうわけか”うまくシンクロできた”という感じが演奏中にもあったので、これはこのままMIXしてしまいました。

確信にも似た感じがあったので、ギターとしては満足していたわけですが、日を改めて聴いてみると、これがうまくシンクロしていないように聴こえたわけです。

いわば、これは感覚がリセットされた状態での試聴になるわけですが、最初にこの作品を聴いた人はおそらく同じように感じるであろうことが想像されました。

ムムム、と思いながらも、さらに聴いていると、不思議と少しずつギターがシンクロしてきているように感じられてきました。

これ、だんだん演奏中の感覚がよみがえってきたともいえるかもしえませんが、くり返し聴くことでさらにシンクロ率が上がってきているとさえ感じられてきました。

もちろん、録音された音源に違いはありませんし、ましてや演奏されたソロが変化していくはずもないので、これは私の感覚が変わって、聴こえ方が変わったということなんでしょうね。

これは、不思議で興味深いことです。
しかしながら、このような効果を感じるのに、実に数十分の時間を要したのでした。オーマイガ。

まあ、とはいえ、私は例えばギターソロがリズムを無視して突っ走ってもイイとは必ずしも思ってはいませんし、作品のなかには、うまくシンクロできず、なおかつリズムもメチャクチャというのもあります。

何を言ってるんだって話かもしれませんが、これは、私自身に起こった興味深いことのお話です。

ところで、この作品、案の定あまり聴かれてはいませんが、これはやむを得ないところでしょうね。

目標は再生回数100といったところですが、再生した人の3分の2くらいが途中でやめてしまうことを考えると、再生回数300を目指したいところです。

posted by 砂久ヤタロウ at 12:51| Comment(0) | かく語りき | 更新情報をチェックする

2013年04月29日

ヘヴィユザカクカタリキ

「ヘヴィユザカクカタリキ」
http://okmusic.jp/#!/works/28432

歌の入っていない曲で、なおかつ収録時間が9分を越える作品というのは、まあ、ほとんど聴かれることもないと思いますが、それでも作品を”共有”できる人がいればなあ、という淡い希望に想いをはせているわけです。

ギターソロでは、もしかするとリズムがズレているように聴こえるかもしれませんが、私としては、うまくシンクロできたと思っています。

3回くらい聴けば、私の”意味するところ”がもしかすると伝わるかもしれませんが、そのためには30分弱の時間が必要になります。

3分くらいの曲なら、10曲くらいは聴けてしまいますし、かの”ゆめのまさる”さんなどのネタ作品なら20曲くらいは聴けてしまうかもしれません。

この作品には、信じられないかもしれませんが”共有”というテーマがあります。

作品を聴いた方が、私が感じる”何か”を共有できればいいな、とは思いますが、それがもちろん難しいのも理解しているつもりです。

私自身にとってもそうですが、ギターの音が心の状態によって聴こえ方が違うのが、オモシロイところです。

というわけで、この短くない作品をとにもかくにも聴いてくれた方、ありがとうございます。いつか、もう一度聴いてもらえたら嬉しいです。なに、9分なんてあっという間です。

追)
タイトルは、どこかに”ヘヴィ”という言葉をいれたかったのでコレになりました。

その2
http://yaataro.seesaa.net/article/358123831.html
posted by 砂久ヤタロウ at 15:47| Comment(0) | かく語りき | 更新情報をチェックする

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