2013年04月18日

かむいのうた

「かむいのうた(DEMO)」
http://okmusic.jp/#!/works/27910

by はりおん☆唄絵紡ぎ人

なにかしらの素養がなければ、このような曲は決して書けないと思いますが、たとえば、カラオケなんかでこの曲を歌ったとしても、はりおんさんのような感じは出せないでしょうね。

小さい頃に聴いた音楽が、その人に影響を与えるってことは、もしかしたらよくあることなかもしれませんが、私の知る限り、大抵の人は、中学生くらいの時に兄や姉、はたまた父や母、もしくは友達なんかの影響で、音楽に目覚め、衝動のままに様々な音楽を聴きあさるという勉強(または学習)を経て、いつしか自分でも演奏を始める、という人が多いように思います。

私も、60、50年代の音楽、とりわけポップスやコーラスグループに影響を受けました、とはいえますが、本当の意味での音楽のルーツといえば、どうしても、自分の意思とは無関係に耳に入ってきた、当時の歌謡曲であったりや母親が好きだったベートーベンの音楽だったり、幼い妹が弾くピアノの練習曲だったり、ということになってしまいます。

この曲は、はりおんミュージックのルーツ音楽のような印象があります。

こういう曲は、例えば私が逆立ちしても、酒断ちしても書けないでしょうね。

もちろん、学習によって似たような作品を作ることはできるかもしれませんが、それは決して、ある種の感慨や望郷であったり、自分のアイデンティティに対する開き直りや、その感じたものを感じたままに素直に表現してみようという、実はなかなか難しい挑戦のようなものではなく、ただ単に、似たようなものをやってみた、というただの底の浅いチープな作品になってしまうような気がします。

私は、一体何が言いたいんでしょうね。

決定的なところは、感じられる作品のバックグラウンドが、とてもリアルだということです。

ところで、私は手塚治虫が好きで、たとえば「どろろ」や「鬼丸大将」なんかのいわゆる時代モノの作品も大好きです。

特に「鬼丸大将」は、鬼と呼ばれた外国人の家族、子どもの、ある意味”差別との戦い”のお話ですが、後半の鬼丸の母親”マーちゃん”が、「鬼の腕」として切り落とされたわが子の腕を、巫女の化けて取り戻すシーンは涙なくしては読めない、私にとっては印象深いシーンです。



「女! おまえは」
「おお・・うれしやわが子の腕・・・」
「おのれ鬼女めっ」

「わが子をとり返しにきた母親が それほどにくいならば
わが子もろとも 私を殺すがいいわ」

「きさまはにくくないっ その腕もだっ!
だが・・・ここで腕をとられたとあっては武士としての意地がたたんのだっ」

えいっ

キャッ!!

母親は、この武将渡辺綱に斬られてしまいます。

「ゆるせっ・・」

母親は、なんとか海沿いの絶壁まで、わが子である”鬼丸”の腕を抱きしめたままたどり着きます。

「鬼丸やーっ か・・かあさんは・・・おまえの手をこうやって なぜているんだよ・・・・おぼえているかい・・おまえがヨチヨチのころ かあさんはこの手をにぎって いっしょに野山を走ったっけねえ・・・

「もう一度 ぎゅっと手をにぎろうね はなすんじゃないよ!

「かあさんはもっと遠いところへ おまえといっしょに走っていくのよ・・・ 鬼丸や・・・!」

母親は、断崖から荒れ狂う海へ、わが子の腕を抱きしめたまま飛び込んでしまいます。



こうして書いていても、涙がチョチョギレテしまうシーンです。

カムイ=時代モノつながりで思い出しました。

今日はいい夜です。




posted by 砂久ヤタロウ at 23:17| Comment(2) | 日記 | 更新情報をチェックする

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